とある地方の女子高生

邦楽ロックとサイエンスが好きな女子高生の日記

ミスiD

世界の本当を一番先に知っているのはいつだって女の子、らしい。

それが事実かどうかは置いといて、私はその言葉で少し楽になった。私は今ミスiDに夢中だ。ミスiDは魔性。私が見たかった夢が、御伽噺がフィクションではなく現実にあるものだと錯覚させてくれるから。やはり人間だからストーリーに惹かれてしまう。アイドルと文学って似てる。ところで、人が憧れている人はその人のある部分を拡張した人であることが多い。シンクロニー現象だ、と友達は言ってた。つまりその人になりたいんですよね。どんなに似せようと頑張ったって私は玉城ティナには絶対になれないし水野しずにもなれない。ただ、彼女らのきらめきが私の光になるというか。カラマーゾフの兄妹で、神聖な存在ではない普通の人々は司祭という神聖な存在がこの世にいると信じることで救われるのだ、みたいなことが書いてあった。私にとっての司教様はミスiD美女らしい。イスラム教では神様は偶像化してはいけないらしいけど、偶像化せずに崇拝することなんてできるのかな。

 

私は今服が選べない。中学の時は選べてた。高校に入って服を買えなくなった。だって服って私が何者なのかを表す一番手っ取りばやい手段で、私が最初に評価されるのは外見だから。話逸れるけど、評価する、されるって言い方は嫌いだ。人はもともと横並びなのに。どっちが上とか下とかすぐ決めたがるよね。つまんないプライド。そんなんに拘らなきゃ生きていけないのかよ。って私のことだね。それはともかく、服を決められなくなったのは、高校に入って私がアイデンティティにしていたものが崩れてから。崩れるだろうってことは予測していたけれど。私は中学まで秀才をアイデンティティにしてた。高校には私より可愛くて勉強できて運動神経もよく性格もいい子までいた。そんな正統派美人も素晴らしい。だけど、私は私でいいところあるじゃん?彼女がしない体験して、こうやって屈折した気持ちをわざわざ言葉にして、なにかしら発信しようとしてる。意欲だけでは駄目かな。自己陶酔?自分に甘すぎるかな?でも結局できる子に嫉妬しても私の努力不足に帰結するんだから自己責任。自分の人生の責任くらい自分で取れるようになりたいね。それが無理だから人は人を裁くし、死刑執行官は昼に悪夢を見ている。どっちにしろ過去は変えられないので受け入れるしかないです。証明終了するまで=私が死ぬまでだからアイデンティティなんてすぐに確立できるわけない。だから私は着る服を迷い続けます。着る服を迷わなくなる時は、私がかけがえない唯一の存在であると私が確信した時かな。

 

私は物書くのは生まれつきに才能があると思ってたけど、元々才能が爆発しているタイプではないらしい。今までほとんど自分の気持ち書くことをやってこなかったから、できなくて当然なんだけど。落ち込むなら努力してから。じゃないと頑張ってる人に失礼だと勝手に思ってる。ダイエットしてから、化粧上手くなってから、最大限におしゃれしてから、自分のことブスかどうか判断しよ。整形してからでもいいかも。自分に自信を持つために整形がどうしても必要なら整形したらいいと思う。私はその人の努力込みでその人の美しさを讃えたい。

 

昨日朴ゆすらのブログを全部読んだから少し影響されてます。許してね。眠いのでもう寝ます。